山形県の大地を悠々と流れる最上川。源流から河口まで総延長229キロの「母なる川」は、山形盆地ではおおむね西側をたどっている。「最上川が勝手に西を流れていると思うかもしれないが、これには理由がある」と、山形大教授の八木浩司は話す。
つり合う力
山形盆地の東側には「東北の背骨」ともいわれる奥羽山脈が位置するが、西側の出羽山地は、月山や葉山を除けば高い山の連なりがない。山の高低や山容の厚さは、そこから流れ出す川の水量、そして土砂の量に大きく影響する。「奥羽山脈から流入する河川は山形市街地のように大きな扇状地をつくるが、西側から流れ込む川は流域が小さく河川の力が弱い。そのため、東側から押し寄せる扇状地を盆地中央まで押し返せない。最上川の河道は、東から来る川と西から来る川の力がちょうど均衡する場所といえる」
その最上川は村山市の碁点温泉を過ぎ、同市大淀に差しかかったところで左に大きく蛇行する。八木は、この大蛇行も最上川が勝手に曲がっているのではなく、活断層の影響を受けていると指摘する。大蛇行の北側には最上川の進行を遮るように、山形盆地断層帯を構成する富並断層が複数並列している。「この地域では太平洋プレートの沈み込みに伴う東西圧縮によって活断層や活褶曲(しゅうきょく)の運動が活発で、隆起傾向が強い。最上川は断層運動による隆起で遮られ、大きく蛇行したと考えられる。三ケ瀬、隼といった難所も活断層を横切っていることによってできた景観といえる」
八木によれば、日本海誕生の原因となった「東への伸長」から「東西圧縮」に転じた「反転テクトニクス」以降、大淀周辺では東から押される力によって北側の地盤が隆起。最上川はいったんせき止められ、低い場所を求めさまよった。そして、ひとたび流路が決定した後は、大地を削り取りながら穿入(せんにゅう)蛇行し谷を形成、いまのようなヘアピンカーブ状に固定されたという。
村山市の扇状地。雪原の中央で横長に黒っぽく見えるのが、断層運動で盛り上がった高森山断層(八木浩司教授提供)
別の意見も
一方、研究者の間では最上川の大蛇行について、活断層の影響とは考えにくいという意見もある。元山形大教授で福島大特任教授の阿子島功は次のように話す。「1回の大地震で断層が上下にずれ動くのは1、2メートル程度。しかも、大地震の周期は千年単位であり、最上川の大きな流れを考えれば、次の大地震が起きるまでに段差をどんどん削っていくはずで、大蛇行が活断層によって生まれたとまでは言えない」
最上川のルートは時代によって変遷している。一般の人々にとって大蛇行の本当の理由は想像するしかないが、最上川が村山市大淀で大きく蛇行するその北側に現在、富並断層が流れに対して立ちふさがるように並列しているということだけは間違いない。=敬称略
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