1997年、寒河江市の高瀬山周辺で見事な活断層が現れた。山形自動車道の工事で切り取られたのり面に露出した断層で、いまから7600年ほど前の縄文時代に起きた大地震の痕跡と考えられている。当時は地震の発生メカニズムなど知るよしもない。縄文人はどんな被害を受け、どんな恐怖を感じたのだろうか。
「工事の情報があると常に“パトロール”に出掛けており、高瀬山の活断層もその一環で発見した」。山形大名誉教授の山野井徹は当時を振り返る。
上下にずれ
高瀬山は、山形盆地断層帯南部を構成する「寒河江-山辺断層」のラインにあり、国土地理院の都市圏活断層図には山のすぐ東に活断層を示す赤い線が引かれている。山野井が見つけた活断層は「逆断層」と呼ばれるタイプだ。逆断層は大地が水平方向から圧縮されて地層が上下にずれる現象で、一方の地盤がもう一方の地盤に乗り上がるのが特徴。現在は緑化されて目視できないが、当時の写真を見ると、地層が斜めにくっきり切れている様子が確認できる。
自動車道の工事では寒河江-山辺断層の線上にある高瀬山東端も掘削されたが、地層に変位は見られなかった。山野井はこのことから「高瀬山自体は活断層によってできた山ではない」と主張する。しかし、元山形大教授の阿子島功は「断層が地表近くに現れていないだけ。この周辺は断層と同じ走向に細長く盛り上がっており、高瀬山は活断層によって隆起したと判断できる」と話す。いずれにせよ、一帯に活断層があることは双方一致しており、警戒が必要なことに変わりはない。
山形自動車道の工事で露出した高瀬山活断層。地層が斜めに切れている様子がよく分かる(山野井徹氏提供)
記録を蓄積
この逆断層周辺は「最上川ふるさと総合公園」整備工事に先立ち、2010年、県埋蔵文化財センターによって遺跡発掘調査が行われた。その際、表面を覆っている黒土を丁寧に剥ぎ取っていくと、一方の地面がもう一方の大地に乗り上がることで傾斜したきれいな断層地形が現れた。「地震発生時の地表の様子が分かる貴重な自然遺産だった」と山野井は話す。
山野井ら山形大研究チームは、地層がずれている部分の試料を下から順に9カ所で採取し、加速器質量分析計で測定。本来、地表に近づくにつれ年代が新しくなるはずだが、逆転している部分があることを突き止めた。調査チームは、逆転現象が起きた地層の年代測定結果から、この断層地形は7600年ほど前に発生した大地震によって形成されたと特定した。
気が遠くなるような長い年月を経て現代によみがえった「縄文の地形」は既に埋め戻され、現在は見ることはできない。しかし、県は山野井らの要望を受け、断層運動によって形成された地形を生かして、上下に駐車場を整備することにした。
「われわれの調査はいますぐに役立つことは少ないかもしれないが、後世の人々のためにも記録を蓄積することが大切。山形県民の防災意識向上に少しでもつながればうれしい」。山野井は強調する。
県村山総合支庁西村山道路計画課によると、駐車場周辺の工事は9月に終了、「活断層のある公園」として説明板を設置し一般開放される予定だ。
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「山形の活断層」第2部は山形盆地断層帯南部を中心に紹介する。=敬称略
断層地形を生かして整備された最上川ふるさと総合公園。山野井氏が手に持っているのは発掘当時に露出した同地点の写真
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