東日本大震災で起こった悪夢の東京電力福島第1原発事故。原子炉建屋が相次いで爆発し、大量の放射性物質が飛び散った。汚染水を海に放出せざるを得なかった。多くの人々が故郷を離れ、遠い地への避難を余儀なくされた。あれから2年。現場周辺はいまだに高い放射線量のまま、一般の人は立ち入りを許されない。住み慣れた、愛する故郷であるにもかかわらず。
本県には原子力発電所がない。ゆえに、どこかひとごとのように感じている県民が多いのではないだろうか。
65年度に調査
しかし、実はかつて本県でも建設される可能性があった。1965(昭和40)年度、国は本県で原子力発電所の立地調査を行っている。「この調査は、原子力発電所の用地としての適地条件を判断する資料となるとともに、将来電気事業者が地点を選定する場合に、立地のガイドラインとなるものである」。昭和51年版原子力白書には、こうした説明文とともに、調査地点を記した日本地図が載っている。その中に「鶴岡」の文字がある。
国の調査から約10年後の74年7月15日、県議会建設常任委員会で原発建設問題が取り上げられた。翌日の山形新聞では、委員が「原発の候補地として、さる四十年に通産省の調査が行われた鶴岡市七窪地区が、最近になって経済企画庁の電源開発基本計画案に全国二カ所のうちの一つの適地として盛り込まれていると聞くが、事実はどうなのか」と質問、県側は「国からはなんの話もない。原子力発電所の設置は環境保全や安全性をめぐって全国的に住民との間で問題が起きており、たとえエネルギー対策の一環とはいえ、建設をいまのところ考えてはいない」と回答したと紹介。鶴岡市では同日、「鶴岡市民を守る会」が結成され、早速反対運動が始まったことを伝えている。
原子炉建屋が吹き飛ぶなど最悪の事故が起きた福島第1原発。本県でもかつて原発立地調査が行われていた
海には活断層
仮に鶴岡市七窪地区に建設されていたとしたら、「危険地帯にある原発」と懸念されることになったのだろうか。原子力規制委員会の調査団メンバーで、活断層上に立つ原発の危険性を訴えてきた東洋大教授の渡辺満久は「七窪地区に活断層(の線)を引いている人はいないが、海には大きな活断層がある。また、より岸に近い浅海は(調査が進んでおらず)よく分かっていない。もし、ここに建設されていたとしたら、柏崎刈羽(新潟県)と同じような問題が出ていたと思う」と話す。
渡辺によれば、柏崎刈羽は原子炉の下に活断層がある可能性が高いという。「軟らかい地層の上に立っており、大きな問題があると考えている。鶴岡も海に巨大な断層があり、地盤が軟らかいですからね」
「3・11」の津波で壊滅的な被害を受けた宮城県女川町。原発を抱えるこの町が1991年に発行した町誌(続編)では「東北地方では秋田県能代市、青森県東通村、山形県鶴岡市の三か所が候補地に挙げられていた」とした上で、「こうした情勢に刺激されて本県(宮城)にも原子力発電所誘致の機運が高まり、県は国からの委託を受けて県内適地条件調査を実施することに決定した」とつづってある。鶴岡は、女川より先に候補に挙がっていたのだ。
昭和51年版原子力白書の原発立地調査地図の中には鶴岡の名とともに、女川や柏崎、泊など、現在、原発が立地する地名が連なる。もしパラレルワールドというものがあるとしたら、もう一つの世界では「福島の悲痛」は「山形の悲痛」であったかもしれない。=敬称略
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