防災関連企画
  1. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[10・完] 教訓をどう生かす(下) 学校・行政編
  2. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[9] 教訓をどう生かす(上) 企業編
  3. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[8] 県内避難者の選択(下) 移住
  4. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[7] 県内避難者の選択(中) 帰還
  5. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[6] 県内避難者の選択(上) 示されたリミット
  6. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[5] あの場所、あの人は今(下) 福島
  7. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[4] あの場所、あの人は今(中) 岩手 町包む、新たな旋律
  8. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[3] あの場所、あの人は今(上) 宮城 本当の復興はいつ
  9. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[2] あの時を振り返る(下) 九死に一生、東根の4人
  10. 東日本大震災から5年~忘れない3・11[1] あの時を振り返る(上) 山形の遺族
  11. 豪雨災害1年・南陽は今(下) 住民生活
  12. 豪雨災害1年・南陽は今(中) 基幹産業・農業
  13. 豪雨災害1年・南陽は今(上) 市の取り組み
  14. [2015年07月09日]
     

     南陽市に未曽有の被害をもたらした「7・9豪雨災害」から9日で1年。氾濫した吉野川と織機(おりはた)川では復興・復旧の工事が続き、市民生活も落ち着きを取り戻している。しかし、2年連続の豪雨被害が発生した7月を迎え、市民の不安は募るばかりだ。この1年、行政はどのような対策に取り組んできたのか、被害を受けた農業そして市民生活はどう変わったのか、市の取り組みや住民の今を追い、安全安心の地域づくりの課題を探った。

     昨年の災害発生直後に就任した白岩孝夫市長は1年間、「災害からの復興が第一。そして市民生活の安全を確保することが市の最重要課題だ」と言い続けてきた。市民生活を窮地に追い込んだゲリラ豪雨への対応に強い思い入れがある。国と県に呼び掛け、災害対応をスムーズに進めるために「復興合同連絡会議」も設け、確実に連携も強化した。それでも払しょくしきれない懸念が垣間見える。

     市としてできることは何か。厳しい財政事情を抱え、ハード面の事業には限界がある。その中で重視したのが、住民に災害の危険性を迅速に伝えるための情報伝達手段の構築。年内を目標に市内全域の約70カ所に同報系無線を配備する。国や県などの気象情報を基に、状況に応じて避難などに関する情報を市役所から市内全域に一斉に発信することが可能で、エリアごとに情報を伝えることもできるという。

     昨年の災害発生直前の9日深夜、対策本部に集まった市幹部は、消防用の緊急サイレンの使用に悩んだ。「多くの人が就寝している時間にサイレンを鳴らし、市民が暗闇の中で避難などを行うことで2次被害の危険性も出てくる」と判断。エリアメールによる警戒情報の発信にとどめた。当時の状況を市総合防災課の高野祐次課長補佐は「経験のない事態で難しい判断だった」と振り返る。そして「早めの対応がいかに大切か身に染みた。もう迷うことはない」と言い切る。

     それに伴い、市の避難勧告の判断と伝達基準を明確に定め、市職員の災害時の初動対応マニュアルも作成した。判断基準は河川や土砂災害危険地域ごとに細かく規定。高野補佐は「基準の数値はあくまで目安。状況に応じ、危険と判断すれば、その時点で動く」と話す。一方、初動マニュアルでは、市内18カ所の避難所に担当職員を配置し、地域への密着度と意識を高めている。非常招集用メーリングリストも作成中で、ソフト面の強化に余念がない。

     白岩市長は言う。「市ができることは何でもやりたい。だが最後は自ら守る、地域で守る自助・共助の意識が大切になってくる」

    土のうを積み上げる地域住民。自ら地域を守る意識が高まっている=6月28日、南陽市宮内

    土のうを積み上げる地域住民。自ら地域を守る意識が高まっている=6月28日、南陽市宮内

  15. 県内豪雨時代への備え(下) 見直される治山 対策3割、整備急務
  16. 県内豪雨時代への備え(中) 治水対策の重要性 明暗分けた河川改修
  17. 県内豪雨時代への備え(上) 異常な気象状況 量、激しさ危険身近に
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