目の前にある光景に言葉が出なかった。2012年5月に訪れたその場所は、現在も大震災が起きた日のままだった。福島県南相馬市小高区にある1軒の生花店。当時、取材した店の所有者と共に4年ぶりに現地を訪れた。店内の植木鉢にはかつて、色鮮やかな花々が生けられていたのだろうが、今は枯れ果て、当時の色を知ることはできない。「これが現実。寂しいね」。所有者の男性は声を絞り出した。
戻らぬ時間
所有者は現在、米沢市避難者支援センター「おいで」の事務長を務める上野寛さん(51)。震災前は福島県南相馬市と浪江町で3軒の生花店を営んでいた。今回、あらためて訪れた小高区の店には花を保管するクーラーの中に「3/11」のメモ書きを張り付けた花束が時を止めたように置かれていた。
「卒業式シーズンで忙しい日だった。この花束も中学校の謝恩会で頼まれていたんだっけ」。時間が止まったままの店内の様子が残酷な現実を物語る。いつも笑顔で周囲を思いやる上野さんの表情が曇った。
取材で小高区を訪れた12年5月当時は、一部を除いて警戒区域から避難指示解除準備区域になって2週間ほどたった時期だった。当時はJR小高駅前の通りで倒壊した建物が道をふさいでいたが、今はさら地になっていた。海に近い干拓地の浦尻地域周辺は海水で一面が湖のようだったが、今は水がはけ、がれきなどの仮置き場ができていた。
「自宅と小高の店は解体することにした」。店内を整理する予定がないのかとの記者の問いに上野さんはこう、寂しそうにつぶやいた。国は小高区などの避難指示解除について4月を目標とする考えを表明している。解除になったとはいえ、震災前に時間が戻るわけではない。
枯れ果てた花々を見やる上野寛さん。店内は東日本大震災が発生した日のままの状態だ=2月28日、福島県南相馬市
後出し対応
浪江町の店にも同行した。町の中心部は防犯などの観点から、今も通行証がなければ出入りができない。店舗など多くの建物が傾いたままだ。福島第1原発から7キロほどにある海沿いの請戸(うけど)地区は津波で壊滅的な被害を受けた。震災前は住宅が立ち並んでいたというが、現在はコンクリート基礎でしかその名残を見ることはできない。
「自分の生まれ育った街だし、小高が好きだし、花屋の仕事も好きだけど、事業を再開するかは踏ん切りがつかない」。率直な言葉には悩みがにじむ。一方で被災者としてのみならず、支援者の立場からも上野さんは強調する。「自然災害ではあるけれど、人的災害の要素も含んでいる。起こったことに対する処理が大切なんだと思う。想定外の事故に対しては想定外の支援が必要になる」
上野さんは再建へ道半ばの街の光景を見詰めながら語った。「今回の震災後の対応は全て後出しで来ている。多くの人が3・11以降は何を信じていいか分からなくなっている」と。それは原発事故の特殊性が影響し、同じく甚大な被害を受けた宮城、岩手の両県と比較して復興が遅れていることを憂える福島県民の心情を代弁しているようでもあった。
中心部は通行証がなければ、いまだに出入りができない。多くの建物が傾いたままだ=2月28日、福島県浪江町
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