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やまがた観光復興元年

第1部・逆境を乗り越える[1] 飯豊・中津川(上)

2014/1/3 12:07
いろりを囲む中津川の農家民宿の女将たち。都会に出た息子や娘を迎えるような温かなもてなしが、来る人の心をつかんでいる=飯豊町岩倉・農家民宿いろり

 ある人は、ここは風の匂いが違うと言う。またある人は、人の手のぬくもりが違うと言う。こんなにおいしい料理は食べたことがないと笑顔を見せ、1泊しただけで帰りたくないと涙を流す。飯豊町中津川地区。雪深く、高齢化率54.0%の典型的な過疎地域だ。便利さはない。しかし、台湾や都市部の人々を引きつける魅力が、ここにはある。

 台湾からの観光客は、農家民宿9軒が受け入れている。一般的な農家民宿は家族の居住エリアと観光客の宿泊エリアを分けるが、中津川の場合は区別せず、暮らしの中に迎える。宿泊先を知らずに来日し「民家に泊まるのか!」と怒っていた台湾女性が、翌朝「離れたくない」と泣く姿を町観光協会の二瓶裕基さん(39)は目にした。町出身で台湾誘客の担当者でもあり、農家民宿の経営者と日常的にやり取りする。住民の人の良さも知っていたが、何がそうさせるのかと自らも家族と宿泊してみた。

 ともに食卓を囲み、酒を酌み交わした。民宿のおばあちゃんたちは保育園年長の娘と花火をし、かわいがってくれた。川魚が好きだと言えば「もう1匹焼ぐが?」、手の込んだ料理をせっせと運んできては「食べられっが?」。何げない、でも温かな気遣いが心の奥に優しく染みた。翌朝の帰り際、自分の感情に困惑した。帰るのが寂しい。言葉で表現するのは難しいが「この人たちは、人の心に触れる何かを持っている」。そう感じた。

 飯豊町は多くの農村地域と同様、人口減少、過疎化の問題を抱えてきた。1980(昭和55)年に1万220人だった人口は2010年には7943人となり、30年間で22.3%減少。高齢化率(65歳以上の割合)は10年で31.3%で、全国平均の23.0%、本県平均の27.6%(全国5位)を上回っている。中でも中津川の高齢化は顕著で、その率54.0%。10年には人口が328人、うち小中学生が8人にまで減少し、中津川小中学校は13年3月で閉校した。

■高い危機意識

飯豊町中津川の集落。高齢化・過疎化が進む中、豊かな自然とそこに住まう人々が観光資源になっている

 一方で、中津川は飯豊山の麓に位置する自然豊かな地域。源流の森やオートキャンプ場、観光ワラビ園、農家民宿などがあり、春の山菜、夏の飯豊登山、秋の紅葉などを目当てに年間30万~40万人が訪れる。その数は町全体の交流人口の半数近い。さらにここには、自然と共生し、手仕事を得意とし、山村での暮らしの知恵を蓄えた人々が住まう。課題と財産を同時に抱える地域なのだ。

 農家民宿による誘客促進を模索する町などの呼び掛けに応え、中津川の8軒(現在は10軒で1軒が休業中)が営業認可を取得したのは07年4月。「限界集落」と呼ばれた地域を思う住民の危機意識は高く「このままじゃ寂しくなっていくだけ。何とかしなきゃという気持ちは、民宿に取り組んだ人の共通した思いだった」と農家民宿組合長の伊藤信子さん(74)は振り返る。首都圏の児童生徒の山村留学を受け入れてきた実績もあり、一丸となってスタートした。

■心からの交流

 家族のように暮らしに迎え入れる姿勢は、来る人の心をつかんだ。しかし、農家民宿はほかの地域にもある。中津川は何が違うのか。「一番の魅力は人。来る人に壁を作らず心を開いてくれるから、相手も自然に心を開く。何より心から交流を楽しんでいるのが利用客に伝わるのだろう」。都市部の企業と交流する飯豊町の「農都交流型ツーリズム」を担当するJTBコーポレートセールス営業開発局の石川智康チーフマネージャー(51)は分析する。

 交通の便の悪さから、この地域には営業マンや教職員を自宅に泊めてきた歴史があったというが、簡単に対応できることではない。外国人でも都会の若者でも、まるごと懐に抱いてしまうような度量の大きさが、ここにはある。

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