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山形再興

第1部・先端研究の求心力 山形大工学部(1)

2018/1/8 15:47
自らが主宰するイノベーター塾で、塾生にアドバイスを送る城戸淳二卓越研究教授=山形大工学部の有機材料システムフロンティアセンター

 「米沢駅はボロだし、研究施設もひどい状態。タイムスリップしたのかと思った」。1989年3月、早稲田大の恩師に紹介され米ニューヨークのポリテクニック大学大学院から米沢市の山形大工学部に助手として赴任した当時を、城戸淳二卓越研究教授(58)はこう振り返る。

 それから29年、山形大は有機EL(エレクトロルミネッセンス)で世界の最先端を走る研究拠点となった。世界で初めて白色有機ELの開発に成功した城戸教授は今、こう思う。「研究者の中には『地方に行ったから(成果が出ない)』と嘆く人もいるが、それはやり方が悪いだけ。要はやる気の問題だ」。それは「フラスコ1個から始めてここまで来た」という自負があるからにほかならない。

 科学技術などの飛躍的な進歩を「ブレークスルー」と呼ぶが、城戸教授は「大発見の最大の敵は“常識”だ」と言う。「(親交があるノーベル賞受賞者の)中村修二教授が青色発光ダイオードを開発できたのは、地方の中規模の会社にいたから。大企業や大きな大学では『そんなのやっても無駄』とか言われて自由な研究ができない。ブレークすべきは常識で、それができるのは山形のような地方なんです」

 米沢市の山形大工学部キャンパス内に2016年、有機材料システムフロンティアセンターが完成した。7階建ての同センターには城戸淳二卓越研究教授のほか、印刷方式の電子回路形成で国際的な実績を上げている時任静士卓越研究教授らの研究室や大学発ベンチャーを含む20余りの国内企業、研究機関が入居する。

城戸淳二卓越研究教授が主宰するイノベーター塾で研究成果を発表する米沢興譲館高の生徒。プレゼンテーションも質疑応答も全て英語だ=山形大工学部の有機材料システムフロンティアセンター

 だが「米国で博士号を取った後は、そのままベル研究所のようなノーベル賞受賞者を何人も出している研究施設で腕試ししたいと思っていた」という城戸教授が助手として赴任したころの工学部は、決して研究環境に恵まれているとはいえなかったという。

 「呼んでもらった義理もあるし、3年は残ろう。でも出るために研究を頑張ろう、と。かなりネガティブな動機でした」。ただ“直属の上司”に当たる長井勝利教授(当時)には「研究費を自分で調達するなら、好きな研究をやっていい」と言われ、工学部長も務めた現在の小山清人学長には研究施設の利用でかなり優遇してもらうなど、「人」には恵まれた。

 そうこうするうちに3年は過ぎたが、「当時、有機ELは競争が激しかった。大学を移ると半年ほど実験ができなくなるのが嫌で(移らなかった)」。その後、白色有機ELの開発が認められて2002年に新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の研究開発プロジェクトに採用されたことで一気に研究環境が整い、県も「山形有機エレクトロニクスバレー構想」を掲げて後押しした。「当初は5ミリぐらいしか光らなかったものが、シャンデリアが作れるまで実用化できたのは、県が43億円も自腹を切ってくれたおかげ」と城戸教授は振り返る。

 有機エレクトロニクス研究所の所長を務め、複数のベンチャーも立ち上げた城戸教授の目は今、「人づくり」に向いている。有機ELは本県にとって地域活性化への大きな“武器”となったが、その基をつくった城戸教授が山形大に来たのは「たまたま」だ。「地域活性化を『たまたま』に頼ってはダメ。『第二の城戸』を育てないと」

 その思いからスタートしたのが、米沢興譲館高(米沢市)の生徒が工学部で最先端の研究を体験する「城戸淳二塾」(現在の「イノベーター育成塾」)であり、県内外の高校生による体験合宿「サイエンスキャンプ」だ。

 世界的な研究者の新たな夢は。「自ら立ちあげたベンチャーで資金をため、中高一貫の学校を米沢につくりたい。優秀な人材を広く集め、勉強だけでなくスポーツとか調理人とか、いろいろな分野で日本を支える人材を育てたい」。これも山形への“恩返し”なのだろう。「最近、神様が『米沢を元気にしろ』と言っているような気がするんですよね」。城戸教授はそう言ってほほ笑んだ。

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