鶴岡市の縫製工場。事業の最盛期は昭和から平成に元号が変わったころ。40人ほどを雇い、仕事に追われる毎日だった。売り上げは2億円を超えた。あれから年月は流れ、現在は家族4人でほそぼそと事業を続ける。
■継がせたいが
70代半ばの男性社長は「借り入れ分が少しでも減らせれば今すぐにでも家業を継がせたい」と胸の内を明かす。できるだけ負の遺産を背負わせることなく、事業承継を果たしたい。経営者の多くが抱く思いであり、後継ぎがわが子であれば、さらにその思いは強くなる。
「事業を継がせたいがどうすればいいのだろうか」「父親がなかなか譲ろうとしない」―。昨年6月、県企業振興公社内に設置した県事業引継ぎ支援センターには、さまざまな相談が持ち込まれている。今年3月末現在で138件。うち40%近くが親族内承継を模索しての悩みだった。
鶴岡市のこの会社には新製品作りに精を出す後継ぎがいる。しかし、ネックとなっているのは事業の継続性だ。年々、取引先からの注文は減少。仕事は人件費が安い海外に流れた。受注減に加え、資材費の高騰も苦しい経営を直撃。古い付き合いの仕入れ業者から必要以上に受注するようせがまれる場面も増えた。男性社長は「お互いに苦しいのは分かるが、口論になることもしばしば」とやるせなさをにじませる。
経済センサスなどによると、県内の中小企業はこの10年ほどで約2割に当たる1万社が姿を消しているという。地域経済を支えている中小企業の減少は、「山形創生」に暗い影を落とすことになりかねない。円滑な事業承継、技術の継承、後継者による新事業展開…。経営者の高齢化が急速に進む中、タイムリミットは刻々と近づいている。
大江町の大江中近くに工場を構える東伸製作所は、家族経営で自動車のピストンを加工するための治具をメーンに製造している。30年近く景気の荒波にもまれながら、会社を守ってきた阿部真一社長も今年で69歳。一緒に働く息子2人に頼もしさを感じつつも、会社の屋台骨として現役を退くことはできない。
良くも悪くも、その時々の景気に大きく左右されるのが零細企業の宿命だ。突然やってくる注文に追われ経営計画は立てられず、難しいかじ取りを迫られることも。一日も早く息子に継がせたい思いはあるが、「あしたどうなるか分からない中、継いだ後もやっていけるか不安がある。顧客への対応など息子にはまだ難しい部分もあり、自分が頑張らないといけない」。引退すれば労働力が足りなくなるのも悩みの種だ。
「衰退していくだけの状況から脱却したい」と、阿部社長はさまざまなアイデアを生み出してきた。金属に特殊なコーティングを施し、自由に絵付けできるようにした指輪「マニキュアリング」や持ち運びできる「簡易手洗器」はその代表例だ。「負担を少しでも減らして会社を息子に渡したい」。会社の発展とともに子どもの将来を案じる父親としての顔をのぞかせる。
■「準備が必要」
県が同センターに委託し、昨年行った実態調査によると、事業承継の時期について、60歳以上の経営者の6割が今後1~4年ぐらいと答える一方、後継者の育成については約6割が5年以上必要と考えている。「この結果にギャップを感じる」と同センターの斎藤浩一専門相談員。「事業承継はすぐにはできない。場合によっては複数年にわたる準備が必要だ」
(「挑む 山形創生」取材班)
|
|