(177)大沼破産、残念でならない~渡辺えりの ちょっとブレーク|山形新聞

渡辺えりの ちょっとブレーク

(177)大沼破産、残念でならない

2020/2/29 16:04

 大沼デパートが潰(つぶ)れたという知らせを受けて、両親のお見舞いの前にタクシーで寄ってみた。倒産を知らせる紙が貼られ、ショーウインドーの中は空っぽ。大いにショックを受けた。お別れをする間もなく、閉店セールもないほどの倒れ方があるものなのか? 何か支援の方法はなかったのか? さまざまな思いが過(よぎ)る。

 小学校に入るずっと前、村木沢の山王に住んでいた頃、家族でバスに乗り大沼デパートでお子さまランチを食べ、屋上の遊園地の乗り物に乗った。当時は大沼デパートでお子さまランチを食べるのが一番の贅沢(ぜいたく)、ご馳走(ちそう)であった。

 幼児期、私は乗り物酔いが激しく、バスに乗ってもすぐ吐いてしまうほどであったが、それでもデパートに来るのは楽しみだった。おもちゃや洋服、文房具などを買ってもらえるし、エスカレーターに乗るのが楽しみだったのだ。階段が動く! これは驚異のファンタジーだった。そしてドアが自動で開く。これも、ものすごい衝撃で、こういった近未来の道具はすべて、山形では大沼デパートから始まるのだった。

 3、4歳の頃、屋上の遊園地の動きながら回転するブランコに乗って泣き叫び、動きだした機械を止めてもらうという無謀な行為をしたのは、私だけだったという。すねた顔で団子を食べている写真が今も残っている。

 昨年、東京の家の引っ越しをして、まだまだ荷物の整理が終わらないが、着物や帯、セーター、食品と大沼から買ったものが非常に多い。良い品で着なくなったものを後輩たちにあげようかと手に取ると、それはほとんど大沼で買ったものであった。母のお見舞いのセーターやマフラー、花束などもみんな大沼で買っていた。そして、数年前、父親が突然「母ちゃんに指輪を贈りたい」と言い出して一緒に買いに行ったのも大沼だった。1階の装飾品売り場で親切な店員さんと一緒に選んで母に贈った。あの指輪は今どこにあるのだろう? 介護施設の母の部屋にあるのだろうか?

 今、毎日履いている靴も大沼の1階で買ったものだ。私は、東京では忙しくてなかなか買い物ができないので、月に1度両親のお見舞いの時に山形で買い物するのが常だった。この先どうすればよいのか? 地下の豊富な食品、各地のお菓子などのお土産もどこで買えばよいのだろうか? 残念という他はない。もっと早くに気が付けなかったのだろうか?

 2月15日に金沢で浅川マキメモリアルコンサートに出演した。高校時代の演劇部の仲間たちに浅川マキファンが多く、特に親友の犬飼由美子(通称ワンコ)が好きでよくレコードを聴いて歌っていた。2人で組んだフォークユニット「山羊座」でもよく歌った。8年前に惜しくも癌(がん)で亡くなってしまったワンコの代わりに、ワンコがよく歌っていた「夜が明けたら」と「裏窓」を歌って大好評だった。しかも「裏窓」はワンコがファンだった本多俊之さんが伴奏に入ってくださった。まるで夢のような出来事だった。ワンコが生きていたら飛び上がって喜んだだろう。

 加藤登紀子さんとカルメン・マキさんと私が3人一緒の楽屋で、非常に緊張したが、さすが人生の先輩たちは冒険を恐れず新しいことにチャレンジする、年齢を微塵(みじん)も感じさせない勇者たちだった。加藤さんに地元の鍋料理をご馳走になり、愉快な武勇談をたくさんお聞きした。山形のシベールアリーナでもコンサートの予定があるという。浅川さんが素敵(すてき)な出会いを贈ってくださった。

 大沼デパートはどうなるのだろう? 亡くなったと思えばよいのか? 甦(よみがえ)るのか? 祈ることもできないのだろうか?

(女優・劇作家、山形市出身)

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