(201)大変だから面白い~渡辺えりの ちょっとブレーク|山形新聞

渡辺えりの ちょっとブレーク

(201)大変だから面白い

2022/2/26 10:49

 1月に始まった松竹の舞台「有頂天作家」が、15日に千秋楽を迎えた。途中、新型コロナの陽性者が出て中止したこともあったが、京都・南座で上演でき、東京・新橋演舞場ではラスト4日間、計6回の公演ができただけでもよかった。大入り超満員のお客さまは、毎回立ち上がってなりやまない拍手をくださった。こういう時だからこそ、生の演劇が必要なのだという思いがさらに強くなった。

 若い頃は劇団の公演が終わると、数日家で倒れ込んで何もできずに横になっていた。新作を徹夜で書き上げ3カ月ほど稽古し、約1週間本番を行った。半年ほどの準備で徹夜も多く、体力、気力が戻るのに何日もかかった。しかも無給。劇団を主宰して何十年もたつが、自分でもよくやってきたなぁと感心する。

 ところが、劇団以外のプロの演劇に関わると、どんなにハードな作品の後でも翌日から別の仕事が入っていて、休む間もなく気持ちを切り替えることになる。コロナ禍の今は打ち上げなどもないので、お互いの労をねぎらったり慰め合ったりもできない。原稿を書いたり、仕事の打ち合わせをしたり、友人の舞台を観劇したりと、公演終了の翌日から始動するのだ。

 この頃、「プロは厳しい。ずっとアマチュアでいたいなぁ」と考え込む。試行錯誤しながら面白いことを考え、失敗したらやり直す。これからまたこんな風に生きられないだろうか?

 今年は7月と10月に演出する作品がある。お金をかけずにさまざまな工夫をし、じっくりと新たな挑戦をしたいと思っている。

 18日に日本訳詞家協会のイベントに参加した。会長の加藤登紀子さんに誘われて昨年から会員となり、当日は依頼を受けて自分で訳詞した歌を3曲歌った。

 加藤さんにお聞きするまで、もう60年になるというその協会を知らなかったが、多くの歌手の方が会員となっていた。年に3回、会員参加のコンサートを開催しているのだという。

 私が海外の曲を訳して歌うようになったのはいつの頃からだったか? 英語もフランス語もイタリア語もスペイン語もできない、聞いても意味が分からない。「日本人に意味が伝わるように日本語で歌うべきだ」と強く思ったのがきっかけだった。自分で戯曲を書き、挿入歌もしょっちゅう書いていたので、自分のコンサートで歌う海外の曲は自然に日本語にしていた。

 美輪明宏さんが原作のテーマをしっかり入れ、「愛する権利」や「アコーディオン弾き」などのシャンソンを訳詞していたことが支えになった。沢田研二さんが「アイ・ビリーブ・イン・ミュージック」などの有名曲を意訳して歌ったことも大きい。

 若い頃から訳した歌は何十曲もある。昨年の山形のコンサートでもスタンダードなジャズを1曲訳詞したのでどんどん増えていく。

 アルゼンチンのバンドネオン奏者ピアソラの曲も10曲は訳した。訳したと言ってもどなたかが直訳した歌詞を探し、意味が外れないよう工夫して音符に乗せていくのだ。これが本当に困難な作業である。単語の長さはスペイン語と日本語で全く違うので、意味をすべて込めることはできない。しかもピアソラの歌詞はシュールレアリスムな詩人や作家が手掛けている。内容が難解で宗教的な要素が入り、暗喩比喩が多い。軍事政権が長かったため、政治的な批判が入っていると思われないよう工夫を凝らしているのだ。それを読み解いて、日本人に分かるように歌詞を作るのが本当に大変なのだ。

 今回歌った「ロコへのバラード」も、普段は隅に追いやられる少数の弱者たちへの思いを込めている。そこを強く意識して演劇人ならではの歌詞を書いた。

 厄介で大変なことほどやり遂げるとうれしい。今後も誰もやろうと思わないことに挑戦しながら生きていきたい。

 未来のことしか語らない明るい加藤さんにまた大変そうな訳詞の仕事を依頼されたので、大変だからこそ引き受けたいと思ったのだった。

(俳優・劇作家、山形市出身)

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