やまがた観光復興元年

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やまがた観光復興元年

第2部・原点に立ち返る[5] 出羽三山Ⅱ

2014/3/3 08:44
精進料理を核にした観光振興に取り組む宿坊や旅館の有志ら=鶴岡市羽黒町手向・多聞館

 春は孟宗(もうそう)の煮物、夏はだだちゃ豆とメロンのくずあえ、秋にはカノカの炒めもの。山菜や野菜の取れない冬は逆に、大事に保存しておいた全ての季節の食材が並ぶ。鶴岡市羽黒町手向の宿坊街で提供されている精進料理。これを武器に誘客や地域づくりにつなげる「出羽三山精進料理プロジェクト」が進められている。

 江戸時代後期には336もの宿坊があった手向には、今もおよそ30の宿坊・旅館が残る。その後継者や女将らが2012年5月、同プロジェクトの推進組織を設立。最初に行ったのは「隣の台所には入らない」という地域のルールを破ることだった。学び、高め合うための第一歩として、プロジェクトの土岐彰代表の母・智子(さとこ)さん(75)が「湊(みなと)揚げ」という伝統料理のレシピをメンバーに伝授した。

 湯通し・水切りした豆腐をすり鉢でよく練ったところにナガイモやすりごまを加えてさらに練り、のりに乗せて油で揚げる。魚の蒲焼きのようなうまさがあるが、手間が掛かるためほとんど作られなくなっていた。智子さんの指導によって湊揚げは復活。プロジェクトのシンボル的一品として地域に広まっていった。

 「いいところをまねし合ったら『ここはどこも料理がおいしい』と喜ばれる地域になれる。分かることは全部教えていきたい」と智子さん。隣の台所は、今は学びの場になった。

 出羽三山精進料理プロジェクトのメンバーは料理の勉強会を重ねながら、全国に情報発信している。活動が関係者の目に留まり、日本外国特派員協会(東京都)に招かれてプレゼンテーションをしたことも。さらに、試食会の開催、精進料理弁当の販売に取り組んできた。

■高い評価手応え

 これまで、何げなく参拝者に提供してきた料理だが、広く発信したら「おいしい」「こんなに手間の掛かった料理はありがたい」と高い評価を受けた。「うれしかった。素材にも味にもこだわった羽黒ならではの精進料理を出すことができれば、出羽三山という観光資源を支える魅力になる」。プロジェクト代表を務める旅館「多聞館」の土岐彰さん(45)は力を込める。

 羽黒山、月山、湯殿山を合わせた出羽三山地域への観光客は、開山1400年祭が行われた1993年度の約234万人をピークに減少している。12年に一度の丑(うし)年御縁(ごえん)年の2009年度は約110万人と盛り返したが、12年度は約84万人と93年度の3~4割に減っている。バブル崩壊後は大型バスでやってくる団体客が減少。全国各地で「講中」を組織し、世代を継いで訪れてきた参拝者が高齢化し、最近では東日本大震災で津波被害が大きかった太平洋側の地域コミュニティーが失われたことも背景にある。

およそ30の宿坊が残る鶴岡市羽黒町手向地区。歴史的景観に配慮した町並み整備が進められる

 神聖な雰囲気を味わいたいという静かな宿坊ブームやパワースポットブームによる若者と、外国人などの個人客は増加の兆しはある。ただ、ピーク時のにぎわいには遠く、それを取り戻すため精進料理による誘客への期待は大きい。

■新事業も検討中

 現在は10軒がプロジェクトに参画して精進料理を提供している。食事とまち歩きを組み合わせた事業など、新しい仕掛けも検討中。6月には、鶴岡市で開催され、世界各国から研究者数百人が参加する国際メタボローム学会で希望者に精進料理を提供する予定だ。食の魅力で観光客が増えれば、山菜や野菜の生産者にとってもプラスになり、地域全体の活性化につながる。メンバーは、かつて手向にあったこの地域内循環と、先人からの文化の継承、人のつながりの構築を目標に掲げている。

 手向地区を重点区域の一つとする鶴岡市の「歴史的風致維持向上計画」は昨年11月、県内で初めて国の認定を受けた。今後、歴史的な建築物・景観に配慮した町並み整備が進められることになる。精進料理は、ソフト面の魅力になる。何より食を通じて築き上げた住民のつながりは、このまちづくりでも力を発揮するはずだ。「プロジェクトは手向地区の将来に向けた財産になる」。鶴岡市羽黒庁舎の佐藤潤到(じゅんし)観光商工室長(54)は言った。

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