やまがた農新時代

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やまがた農新時代

第1部・翻弄(ほんろう)[1] 中山間地のコメ農家

2014/1/15 10:00

 先人が小高い丘に切り開いた美しい棚田が広がる山辺町中地区。雪に覆われた階段状の田畑は朝日をバックにあぜ道との陰影を際立たせる。長い冬の先に必ず訪れる春を待つように集落全体がひっそりと静まり返る。

雪に覆われた棚田。農家の高齢化に伴う担い手不足が年々深刻化している=山辺町大蕨

 80戸が身を寄せる同地区は大蕨、北山の両集落から成る。約16ヘクタールある大蕨の棚田のうち3.4ヘクタールが1999年、農林水産省の「日本の棚田百選」に選ばれ、一躍脚光を浴びた。現在、耕作を担うのは地元農家ら36戸で主力は70代。「あの家は今春、田植えするだろうか」。集落の行く末を案ずる担い手同士のささやきは年々大きくなる一方だ。農政転換の大波が押し寄せる。「5年、10年先の古里の姿が思い描けない」と嘆きが聞こえる。

 県は、国の農林水産統計を基に県内コメ農家の経営状況を数値化。2011年の稲作所得(補助金を除く)は10アール当たり3万3123円で全国平均の2万8765円を上回る。だが、1985(昭和60)年の水準と比較すると3分の1以下に落ち込む。米価低迷が大きな影を落とす。

 政府は昨年秋、生産調整(減反)参加者への定額補助金の減額・廃止や減反の廃止などを内容とするコメ政策の大転換を決めた。環太平洋連携協定(TPP)参加交渉では、コメなど農産物の重要5項目の関税維持に向けた攻防が続いている。「猫の目」と揶揄(やゆ)される日本の農政は大激変期を迎えた。米どころであり、ブランド牛、果樹の一大産地でもある山形の揺れる「農」の現場に足を運び、農に生きる人たちの声に耳を傾け、農政の課題と解決策を探る。

 政府は2018年度をめどに生産調整(減反)の廃止を目指し、14年度からは減反参加者に支給していた定額補助金を、10アール当たり1万5千円から7500円に引き下げる。環太平洋連携協定(TPP)による関税撤廃で「県産米の約3割が輸入米に置き換わり、価格低下を招く」との試算もある。コメ農家にとって不安ばかりが広がる。

 山辺町大蕨の稲村健(つよし)さん(69)は地元の建築廃材業者で働きながら、先祖から受け継いだ棚田30アールを手掛ける。「周りを見渡せば、自分は若い部類」と苦笑する。刈り取り後に昔ながらの「くい掛け」を行い、高付加価値の棚田米として販売する地元グループの取り組みを農家の立場で支える。「作業は重労働。いつまで続けられるか」とこぼす。

■難しい効率化

黄金色に染まる四ケ村の棚田。政府が打ち出したコメ政策の大転換で揺れている=2013年10月、大蔵村南山

 集落内で若い労働力を確保するのは難しい。国が理想とするように、農地を集約し効率的な農業経営を目指す意欲ある担い手に期待できるのか。稲村さんは「効率化を図るには、複数ある水路を集積するなど基盤整備が必要。人手もいる。多くの金を掛けて棚田でコメを作ろうという人がいるだろうか」と語った後、答えをのみ込むように黙り込んだ。

 大蔵村の肘折温泉に程近い「四ケ村の棚田」。一時期120ヘクタールで作付けされていた耕地は現在、70ヘクタールほどに減った。これから増えるという見通しもない。

 この地で営農する同村南山、須藤敏彦さん(57)はかつて出稼ぎ先の東京都内で目にした光景が忘れられない。1993年の“平成の米騒動”。小さな米穀店の店主が、殺到する客に向かって声を張り上げた。「国産米のみの販売はできません」。須藤さんは「もっと作れと言ったかと思えば、今度は作るな…。国の政策で翻弄(ほんろう)され続けるコメ作りはどうなるのか」と実感を込めた。

 かつて四ケ村の棚田保存委員会の代表を務めた会社役員中島敏幸さん(58)は「手をこまねいていれば行き着く先は限界集落。それでも、適応しなければならない。方策はある」と強調する。その一つがブランド化。「極端なことを言えば、ここの田んぼの水はそのまま飲めるほど清らか。寒暖の差が大きいので食味もいい。『量』で勝てないなら『質』を売りにする」と話す。

■もっと大胆に

 須藤さんは5年ほど前から「四ケ村の棚田米」と銘打って、主に首都圏の消費世帯と契約し、販売している。「これからの農家は作るだけでは駄目。もっと大胆なことを考えなければならない」。例えば首都圏など人口が密集した団地に乗り込み、野菜、コメなどを直接販売するような積極性だ。実現に向け必要な要素はただ一つ、「若い世代が挑戦しようとする気構え」。2人の言葉が重なった。

(「やまがた農新時代」取材班)

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