第3部・誰一人取り残さない(2) 酒田・飛島編(中)~幸せの羅針盤|山形新聞

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第3部・誰一人取り残さない(2) 酒田・飛島編(中)

2021/1/4 09:10
看板犬と市報を配る合同会社とびしまの社員。島の人たちに頼りにされる存在だ=酒田市飛島

 「島には帰ってくるな」。酒田市の飛島出身で、合同会社とびしま代表を務める本間当(あたる)さん(39)は、そう言われて育った。しばらく古里を離れて仕事をしたが、今は親の言いつけを破って里帰りし、島のために働いている。現実に直面し、諦めている年配の人たちもいる。しかし、「ここは失ってはいけない場所」と考えている。

 島に戻るきっかけは、2011年の東日本大震災だった。中学校までしかない飛島では、ほぼ全ての子どもが15歳で島を出て行ってしまう。本間さんも酒田にあるもう一つの家から市内の高校に通うため、島を離れた一人だった。仙台市内の大学に入った後、盲導犬の訓練士を目指し専門学校に進んだ。仙台のペットショップで働いていたが、そこで被災した。酒田に避難し、実家の旅館を手伝おうと島に帰った。

 ほぼ10年ぶりに港に降り立ち、目にした古里は記憶とはほど遠かった。「温かく迎えてくれたが、様変わりしていた」。幼い頃、島はもっとにぎやかで、活気があった。「なんとかしなければ」。時期を同じくして飛島に渡った仲間と合同会社とびしまをつくることを決意した。

 酒田市が運行する定期船で1時間15分。飛島の玄関口・勝浦港に降り立つと、すぐそばに合同会社とびしまが運営するオープンカフェ「しまかへ」がある。冬季間は休業しているが、イカのトマトパスタ、ワカメのペペロンチーノ、アンチョビーのピザなど島の食材を使ったメニューを提供する。とびしまは、ここを拠点にさまざまな事業を展開し、島のライフラインも守っている。

 しまかへは島民や市民団体、行政などによる「とびしま未来協議会」が2012年に開設した「しまcaf●(カフェ)」が前身。「島にいる同世代で運営してみよう」。島出身の本間当(あたる)さん(39)、カフェ店長の渡部陽子さん(36)、それに同時期に島に来ていた仲間2人の間に会社設立の話が持ち上がった。

■「しまかへ」に

 13年3月、合同会社とびしまが誕生。島民が呼ぶようにカフェの店名を「しまかへ」に改称した。「なんとかして仕事をつくりたかった。若者が住めるように」と本間さんは当時を振り返る。その後、土産物屋や観光ガイド、旅館の経営などを手掛ける。社員は9人で、酒田の中心部では居酒屋「炭かへ」も始めた。

古里の島に戻り合同会社とびしまを立ち上げた本間当さん=酒田市・炭かへ

■ダムを巡回

 仕事を新たに作るだけでなく、島民の暮らしも支える。水道の維持管理を担い、旅館は発電所の職員宿舎としても役に立っている。

 「貯水量を確認し、使うダムを切り替えます」。遊佐町出身でとびしま入社5年目の三浦由人さん(32)は島の森の中にある複数のダムを巡回。浄水場では水質も確認し、貴重な水が島全体に行き渡るよう点検する。冬に備え、野鳥観察用に設置されたベンチをシートで覆う作業を島民と協力して行い、それが終われば、同社の看板犬となっている秋田犬の羽後を連れて市報を配る。「おう、ありがとう」。住民から頼られる存在だ。

 水道の維持、管理は別の業者が担っていたが、高齢のため、とびしまが請け負うようになった。集落の祭りには社員が参加し、冬場は除雪なども行う。漁師の仕事を手伝うこともあるという。

 「昔は駄菓子屋もあったし活気があった。同じようには戻らないかもしれないが、このままにはしたくない」と本間さん。実家の旅館は、自分と同じようにいったんは都会に出た兄が戻り、去年継いだ。冬場は漁師もやっている。「島に人を増やすことは不可能ではない」。親の言いつけを守らず帰ってきた兄弟は、そう信じ、挑戦を続ける。

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