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挑む、山形創生

第7部変わるU・Iターン(2) スキルを生かして

2016/8/31 11:40
ワインに魅せられ、世界各国を渡り歩いた国吉一平さん。今は地域に根差したワイナリーを目指してワイン造りに励んでいる=上山市

 人と人、人と土地は不思議な縁でつながることがある。ワインに魅せられ、20代で故郷の静岡県を飛び出して世界を巡った国吉一平さん(36)=上山市旭町3丁目=もその1人。ワインがきっかけで2013年に移住し、現在は同市のワイナリー「ウッディファーム&ワイナリー」(木村義広社長)の醸造責任者を務める。

■好印象決め手

 国吉さんがたどった道のりは実にユニークだ。高校卒業後、大阪の飲食店で働く中でワインにはまった。次第に造り手になりたいと思うようになり、25歳でニュージーランドの醸造専門学校に入学して一からノウハウを学んだ。その後は、北半球と南半球を行ったり来たりして年中ワイン造りに没頭した。

 一時帰国した07年ごろ、日本のワイン造りを学ぶために短期の働き口を探すことに。各地に連絡を取る中で出合ったのが上山市のタケダワイナリーだった。上山で過ごした時間は夏から冬にかけての約4カ月。「ワイナリーの人が野菜や調理道具を持ってきてくれるなど、とてもお世話になり山形に対して強い印象が残った」と振り返る。

 再び世界を巡り、09年に帰国。東京のワインスクールで働いていた際、山形の友人を通じて木村社長と出会い、ワイナリー立ち上げの誘いを受けた。「スクールにとどまるか造り手に戻るか迷った」。それでも、以前の山形での暮らしに好感を持っていたこともあり、移住を決めた。「もし印象が悪かったら、山形には今いないかもしれない」

 現在はブドウ畑の管理からワインの仕込みまで一手に担う。試行錯誤を繰り返す毎日だが、「誰にでもできる仕事ではないし、大変だけれど楽しい」と笑顔を見せる。巡り巡って山形にたどり着いたことに「来るべくして来たと思う」とし、「地域に根差したワイナリーになれるかはこれから次第。やることは尽きない」と意欲を見せた。

「新たなまちづくりに自分の経験を生かしたい」と語るYAMAGATA DESIGN取締役の伊藤麻衣子さん=鶴岡市

     ◇

 夫の都合で移住した地でやりがいのある仕事に出合った。総合デベロッパー「YAMAGATA DESIGN」(ヤマガタデザイン、鶴岡市)取締役の伊藤麻衣子さん(42)=同市西新斎町。市内のサイエンスパークで、子育て支援施設の整備計画などに携わる。

■社会のために

 東京都内の東証一部上場企業や人材育成に関するNPO法人に勤務、米国在住中は教会が主宰するコミュニティーづくりに関わるなど異色の経歴を持つ。「社会のために役立ちたい」。そう思って歩んできた人生だった。田園風景が広がる豊かな地域に、新たなまちをつくる今の仕事には使命感すら抱いている。

 望んで鶴岡市に来たわけではない。米国生活7年目の14年。テキサスA&M大研究員の夫佐藤健大さん(41)がサイエンスパークに立地するバイオベンチャー「Spiber(スパイバー)」に転職を決めたことがきっかけだった。

 「すごい会社を見つけた」。夫の説明に同社の技術が世界を変える力を持つことは感じたが、所在地を聞いて衝撃を受けた。「鶴岡ってどこ?」。天童市出身の大学時代の友人にメールをすると「軽く目まいがする田舎」と返ってきた。

 心配したのは当時6歳と3歳の娘への影響だった。インターネットで、教育環境や帰国子女の受け入れ状況など調べれば調べるほど不安が募る。反対しても夫の決意は揺るがない。娘を連れて名古屋市の実家に移ることも考えたが、子どもたちは「ダディと一緒がいい」。複雑な思いを抱えながらの移住だった。

 そんな自分だからこそ、望まない移住者の心境もよく分かる。「地元の人が当たり前だと思うことも丁寧に伝えるサポートが必要」と実感しており、子育て支援施設を核に定住につながるさまざまな構想を描く。「UIJターンの人たちがハッピーになれる手伝いがしたい」。新天地で目指す自らの役割は明確だ。

(「挑む 山形創生」取材班)

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