【杭州】中国の杭州で開催されている夏季アジア大会は、海外に拠点を置く日本人指導者の奮闘も見どころの一つだ。サッカー男子でモンゴル代表を率いたのが大塚一朗さん(58)。2014年に母校の富山第一高を全国高校選手権初制覇に導き、現在は妻の洋子さんと首都ウランバートルで暮らしている。長い冬の間は、気温が氷点下40度に達することもあるという極寒の地。なぜ海を渡り、日々どんな経験をしているのか。本人に直撃した。(共同通信・村形勘樹)
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9月21日。1次リーグB組のサウジアラビア戦に足を運んだ。ジャージー姿の大塚さんは、国歌斉唱で右手を胸に当ててベンチ前で直立。試合中は身ぶり手ぶりを交えて指示を送り、思わず日本語で熱く選手を叱咤(しった)する場面もあった。
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国際サッカー連盟(FIFA)の世界ランキング(9月21日付)で183位のモンゴルに対し、昨年のワールドカップ(W杯)カタール大会の1次リーグでアルゼンチンを破ったサウジアラビアは57位。今大会出場した世代別の代表でも実力差は大きく、0―3と完敗を喫した。
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試合後の記者会見。感想を日本語で質問しようとすると、すかさず司会者から「イングリッシュ or チャイニーズ」と遮られる…。お互いが日本人と分かった状況で、なぜかぎこちなく英語で質疑応答。突っ込んだ話も聞けないまま終わってしまったため、会見終了後に駆け寄って追加取材をお願いすると、快く応じてくれた。
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2022年1月、日本サッカー協会(JFA)のアジア貢献活動でモンゴルへの派遣が決まった。「俺がいつまでも(母校で)監督を続けて偉そうにしていれば、若いコーチたちが育たない」。育成年代の指導で確固たる地位を築いた大塚さんは、後進のため、そして自分の夢のため、厳しい環境に飛び込んだ。
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代表監督には20代半ばから憧れ続けていたという。原点は1989年。サッカーの「聖地」とされるロンドンのウェンブリー競技場で行われたイングランドとイタリアの一戦だ。ギャリー・リネカーに、ロベルト・バッジョ。スター選手を見るため詰めかけた大観衆が、ワンプレー、ワンプレーに熱狂する。そんな光景に感動し、指導の道に進む覚悟が固まった。やがて「いつか、どこかの代表監督をしたい」との思いも芽生えた。
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モンゴル代表監督として初陣だった2022年3月の親善試合は忘れられない。1万5千人の観客が集ったアウェー、ラオスのスタジアム。開始前のモンゴル国歌演奏で「まだ(曲を)覚えてもいなかったのに、興奮と感動のあまりに涙が流れた。35年を経て夢がかなうなんて…」。記念すべき第一歩を踏み出した。
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富山市の出身で法大から日本リーグの古河電工に入社した。しかし、奥寺康彦や岡田武史ら日本代表選手が居並ぶ強豪で活躍できず、24歳でスパイクを脱いだ。その後は英国に留学して指導者ライセンスを取得。J3富山の前身、北陸電力の選手兼コーチやアルビレックス新潟シンガポール監督を務め、2012年に監督に就任した富山第一高では、昨年日本代表に初選出されたFW西村拓真(横浜M)らを育てた。
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豊富な知識、指導経験をもってしても、異国での挑戦は容易ではなかった。寒さや雪で1年の半分は屋外で練習ができず、屋内でのフットサルが練習の中心。JFAへの活動報告によると、モンゴルの平均月収は約3万円で、選手の多くがサッカーは副業だという。仕事で練習に参加できないことも多く、最初の招集時に来たのは9人。モンゴル語でのコミュニケーションにも苦労している。
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一方で、代表チームに成長の予感もある。身体能力に優れた選手が多く、日本代表の快足アタッカー、伊東純也(スタッド・ランス)と同程度のスピードを計測する選手も複数いるそうだ。「まだ始まったばかり」。根気強く、守備の意識からたたき込んでいる。
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当面の目標は米国、カナダ、メキシコで共催される2026年ワールドカップ(W杯)のアジア1次予選を勝ち抜くこと。10月中旬のアフガニスタン戦(ホームアンドアウェー方式)に勝てば、日本とは別グループの2次予選に進む。
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代表監督としての大望を尋ねると「(日本と)同じ土俵に立って勝ってみたい」。FIFAランクでアジア最上位の19位につける母国は、はるか遠い存在だと分かっている。それでも、高校日本一に輝いたメンバーの大半が富山県出身者だったことを振り返り「田舎の選手だけでも優勝しているので、可能性はある」。創意工夫と努力の先に、夢が実現する日は待っている。そう心から信じている。
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