NIBフロントライン

藤庄印刷会長兼社長
小嶋信一氏
小嶋信一氏
【インタビュー】
 -業界の現状を踏まえ、求められる人材は。

 「商業印刷の需要は漸減し、印刷用紙の需要量も同じように減っている。業界の常識や今までやってきたことにこだわらないで、新しい発想が必要だ。当社では全員が能力のある“人財”だが、問題となるのはその個性が発揮できる体制になっているかどうか。人材育成は環境に左右されるからだ。業界の常識や、会社の今までの常識に照らし合わせて判断するのではなく、新しい発想を許容するという社風にしなければならない。ゆらぎを許容することが進化につながる」

 -社員の個性を発揮させるために取り組んでいることは。

 「社員のコミュニケーション能力を磨く研修を展開している。山形新聞の読み方講座もその一環として行った。その一方で、全体の意識が一つの方向性になるようにマネジメントしようと考えている。まずは完成した印刷物を見るのは、発注者の先にいるということ。発注者の目的を達成するために、それを意識したい。例えば小売業のチラシを見るのは消費者で、発注者は小売業だ。われわれは発注者の目的である『消費者が買いたくなるようなチラシ』を作らなければならない。関わる社員全員がそれを意識する必要がある。もちろん制作は各工程で分担しているが、一つの仕事をしているという意識を持つように伝えている」

 -小嶋家は1898(明治31)年に創業した小嶋商店(現在のオビサン)を代々経営してきた。仕事上で影響を受けた人物は。

 「影響を受けたのは父の源吉。そして父を通して伝えられた初代源三郎の商売に取り組む姿勢だ。私は後を継がずにオーディオ関係の仕事に就きたかった。当時はオーディオの黎明(れいめい)期だったからだ。しかし高校時代のある日、父の枕元に正座させられ、1時間ほど運命について話をされた。『オーディオは趣味でやれ。おまえは生まれながらに責任を持っている』と言われ、覚悟を決めた。名前の信一は初代の教え『信用第一』を受け継いでおり、その教えを今も心掛けている」

 ★小嶋信一氏(おじま・しんいち) 東京経済大経済学部卒。1898(明治31)年創業の小嶋商店(現在のオビサン)の4代目。藤庄印刷では2013年に取締役、15年に代表取締役会長、16年6月から代表取締役会長兼社長。オビサン会長、精英堂印刷会長なども兼務する。山形市出身。76歳。

 ★藤庄印刷 1946(昭和21)年、活版印刷業として山辺町で創業。企画・制作から印刷・配送まで一貫体制で行う総合印刷会社。近年はデジタルコンテンツの制作やAR(拡張現実)技術を使った印刷なども手掛ける。2011年に会社分割し、再スタートした。資本金は1億円で、従業員数は172人。本社は山形市あこや町3の18の30、本社工場は上山市蔵王の森7。

【私と新聞】ネットと共存の道、模索
 「今は情報源が多様化している」と語り始めた小嶋信一会長兼社長。「私たちもお客さまの要望に合わせて企画し、紙に情報を載せている。新聞も同じ紙媒体として共通点があると感じている」。身ぶり手ぶりを交えて理路整然と説く。

 印刷物しかない時代からラジオやテレビの電波媒体ができ、紙媒体はそれと共存してきた。そしてインターネットが誕生し、時代は大きく変化した。「(新聞など)紙媒体はネットと共存する道を模索しなければならない。もはや変わっていくのは止められないからだ」と指摘する。

 「ネットは意識して操作しないと情報が入らない。一方、チラシや新聞は受動的と言える」と語る。印刷に携わる会社として、その組み合わせを考えているという。「新聞も同じなのではないだろうか」

【週刊経済ワード】輸入制限
 外国製品が大量に流入するのを防ぐため、高い関税を課したり、一定の量を超える輸入は認めなかったりする措置。1962年に当時のケネディ米大統領が署名して成立した通商拡大法の232条は、特定の製品の輸入が国家安全保障上の脅威になっていると商務省が判断すれば、大統領は勧告に基づいて一方的な是正策を取れるとしており、保護主義的な側面を持つ。トランプ政権はこの条文に基づき、鉄鋼に25%、アルミニウムに10%の関税を課す輸入制限を決めた。
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