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ヤマムラ社長
中村忍氏
中村忍氏
【インタビュー】
 -業界の現状や今後の展望は。

 「東日本大震災後、復興に向けて建設業への需要が増えたが、これが収束していけば、業界は再び厳しい局面を迎える可能性があるだろう。わが社は、東北地方での仕事が忙しい分、支社のある東京エリアを伸ばす余裕がなかったが、東京ではインフラの建て直しや新規の建築事業で業績を伸ばせる要素があると期待している。人材を投入し、力を入れていきたい。また近年は木造建築が見直されており、木造耐火構造の高齢者施設事業を手掛けたパイオニアとして、この分野も推進する。さまざまな社会資本が老朽化し、建築や土木のニーズは高まるはずだが、新庄・最上地域の若い世代が地元に残らない傾向が強まっている。業界だけでなく、8市町村が連携し、人材確保や地域の経済振興、交流人口の拡大に向け知恵を絞っていかないといけない」

 -会社が求めている人材と、育成の考え方は。

 「何に関してもチャレンジする気概があり、指示待ちでなく、常に疑問を持ち、積極的に発言できる人物を求めたい。これからの建築についてしっかり勉強し、取得可能な資格はどんどん取ってほしい。文化財保護や耐震化など、最近は古い建物を扱う仕事も増えている。それらを見て、これから作る新しいものが100年後どうなっているかという想像力を働かせられる人物を期待する。幸い、仙台支店ではこの3年で10人の大学新卒者が入社してくれた。わが社の災害復旧のポテンシャルや、地方都市・新庄に拠点を置いて地域に密着する姿勢などを評価してもらったと思っている」

 -仕事上で影響を受けた人物は。

 「住宅建材メーカー『吉野石膏(せっこう)』の会長だった故須藤永一郎さんとは家族ぐるみの付き合いをさせていただいた。会社を大手に育て上げた手腕のほか、山形美術館や天童市美術館に絵画を寄託するなど郷土愛にあふれる経営理念は尊敬でき、公私にわたって多くのことを教わった。また自らの会社を上場企業にまで押し上げたハウスメーカー社長や、某大手外食産業の社長にも大きな影響を受け、商売の何たるかを学んだ。社会に必要のない企業はあり得ず、常に必要とされる企業を目指さなくてはいけない。社員には『会社のために働くのではなく、自分のために働いてほしい』と強く呼び掛けている」

 ★中村忍氏(なかむら・しのぶ) 大手広告代理店勤務を経て1976(昭和51)年にヤマムラ入社。83年に取締役、94年に社長就任。全国建設室内工事業協会常任理事、同協会東北支部副会長など歴任。2009年に内装工事業発展に尽力したとして黄綬褒章受章。東京都台東区出身。69歳。

 ★ヤマムラ 1965(昭和40)年設立の山村製材所が前身で、90年に社名変更。内装仕上げ、建築工事を主体に不動産、木建材販売、製材事業など幅広く業務を展開し、近年は古民家などの建物再生事業も手掛ける。資本金4千万円。従業員数111人。本社所在地は新庄市福田711の6。ほかに東京支店、仙台支店、東京西営業所がある。

【私と新聞】小さな記事に生きるヒント
 自宅では山形新聞と全国紙1紙を購読し、会社で経済紙に目を通す。「主要記事が躍る1面よりも、めくった2~4面当たりの小さな記事が面白い」と笑う。そこにこそ大事なことが載っていたり、将来に生きるヒントが隠されていたりする、というのが理由だ。

 山形新聞の地域版は熱心に見ている。「きめ細かな地域情報こそ地方紙・山新の売りだから、今後も心掛けてほしい」と話す。経済面も役立てており、「タイムリーな企画を通して、さまざまな県内企業とトップの人となりを知ることができる」と評価。あらためて、山形にはいい経営者が多いと感じるという。

 地域の歴史や文化をじっくり掘り下げるような企画を期待している。「私たちの世代にとって、新聞は信頼できるメディア。知恵を絞り、若い世代にもアピールする紙面作りを目指してほしい」と語った。

【週刊経済ワード】自動運転技術
 自動車に搭載したカメラやセンサーなどで車両の位置や周辺状況を把握し、歩行者や信号など周囲の環境を判断しながら自動で走行する技術。ハンドルやアクセルなど一部の操作が自動となるレベル1から、場所や気象条件などを問わず自動走行でき「完全自動運転」と呼ばれるレベル5まで分類される。国内外の車メーカーやIT企業が開発を進めている。
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