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東北銘醸社長
佐藤淳司氏
佐藤淳司氏
【インタビュー】
 -業界の現状は。

 「酒税法が改正され、日本酒の級別制度が廃止になって以降、国が認定していた“格付け”がなくなったため、消費者は自分で良い酒を選ばなくてはならなくなった。当然、消費者の目は厳しくなり、競争が激化した。その結果日本酒全体の品質向上につながった。試練は悪いことばかりではない。各酒蔵が切磋琢磨(せっさたくま)して良い酒造りに励んでいる。和食ブームにけん引され、日本酒の海外需要も高まっている。当社は昨年のインターナショナル・ワイン・チャレンジ(IWC)日本酒部門で、年間最優秀酒蔵に選ばれた。同じく本醸造の部で最高賞のトロフィー賞を受賞した銘柄はイタリアに向け本格的に輸出を始めた。県内でも各酒蔵の海外輸出が拡大し、出荷量に占める輸出割合は年々増えている」

 -求める人材は。

 「時代背景が変わっても、酒造りの基本はそう大きく変わらない。特に当社は伝統の生酛(きもと)造りを継承してきた酒蔵。基本に忠実で原点を大切にすることが重要だ。それでいて、新しいことへの挑戦も必要。挑戦には失敗がつきもの。失敗は学びの宝石箱だ。探究心を持ち、成長してほしい。仕事で必要なスキル、知識はすべて入社してから教える。社会人としての基本である責任感と、同僚や取引先と情報交換ができるコミュニケーション能力があればいい」

 -自身が仕事上で影響を受けた人物は。

 「3代目社長だった父・長助だ。父は小学5年で自身の父親を亡くし、苦労する母親を見ながら家業を継いだ。太平洋戦争では2度徴兵され、生きて帰れたが農地解放など時代の荒波にもまれた。また、旧八幡町の町長や酒類卸組合の県組織の理事長も歴任した。さまざまなことを経験した父の背中を見て、どんなことでも全力で取り組む大切さを学んだ。人生の、経営者の先輩でもあった。自分を大学、大学院に進学させてくれたことも感謝している。東京農大大学院では乳酸菌研究の第一人者・北原覚雄教授と出会い、論理的思考展開の仕方を学んだ。課題にぶつかった時、それを解決するため、どう仮説を立て、実証していくかという思考の組み立て方だ。これは酒造りにしても経営にしても、あらゆる場面で生きている」

 ★佐藤淳司氏(さとう・じゅんじ) 東京農大大学院修了。北海道の酒問屋で流通を学んだ後、関連会社の麓井酒造(酒田市)に入社。37歳で東北銘醸の製造部長となり、専務を経て1995年に4代目社長に就任。後に旧八幡町(酒田市と合併)となった旧観音寺村出身。71歳。

 ★東北銘醸 1893(明治26)年創業。当初の銘柄は「金久(きんきゅう)」。1930年ごろ2代目に長男が誕生したのを喜び「初孫」に改めた。60(昭和35)年に社名を金久酒造から初孫酒造に変更。63(同38)年から東北銘醸となった。94年に酒田市本町3丁目から同市十里塚字村東山125の3に社屋を移転し工場を新築。資本金9500万円。


【私と新聞】自分の座標軸を修正
 朝起きたらすぐに新聞を読む。新聞は、独善的にならないよう、自分の座標軸を修正するために活用している。この地域に暮らす者として、山形新聞は重要な情報源だ。1面から順にめくっていくが、地元庄内での子どもたちの活動やまちの話題が載っている地域面も見逃さない。「こういう物の見方もあるのか」と自分とは別の視点に気付かせてもらったり、忙しい時に忘れてしまいがちな季節感に触れさせてもらったりしている。

 傘福の展示が始まった、タンポポが咲いた、など何げない日常のニュースも心が和む。わが家では自分が読んだ後の新聞は95歳になる母が隅々まで目を通している。そのおかげもあってか元気で過ごしており、掲載された記事のことを家庭で話題にすることもある。


【週刊経済ワード】日米の新貿易交渉
 昨年9月の日米首脳会談で物品関税を中心とする新しい貿易交渉の開始が決まった。トランプ米大統領は対日貿易赤字を問題視。牛肉や豚肉など農産物の対日輸出を増やし、日本からの自動車輸入を制限したい考え。日本は米国に対する農産品の関税引き下げは環太平洋連携協定(TPP)など過去の協定を超えないことを前提に交渉開始を了承。米側は交渉中、自動車への追加関税を日本に発動しないことを約束した。
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