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サンフウ精密社長
奥山崇氏
奥山崇氏
【インタビュー】
 -業界や自社の現状は。

 「当社は金属加工業として産業用機械の部品加工、組み立てを担い、工作機械関連を中心に幅広い製品に対応している。国内部品加工各社は十数年前から中国をはじめ東南アジアに量産品の生産拠点を移し、国内に残ったのは多品種少量や手間のかかる製品だけだ。従ってパイは縮小し斜陽産業化しているとされる。その中で当社は、存続企業になろうと思い切った体質改善を進め、社員の意識改革を促してきた。航空機部品分野への参入も未来に向けた展望の一端だ。将来的には山形から世界に航空機部品を輸出したい。同業者と生き残りを懸けて連携し、共に成長することも重要。当社は優れたベンチャー企業と連携し、新たな可能性も追求している」

 -工場移転で職場環境、教育方法は変わった。

 「硬い金属材料を機械加工するため男性中心の職場で、特に理系の出身者が多かったが、新工場は職場環境が一変した。木質や白を基調とし、一定温度に管理された環境の中、快適に仕事ができるようになった。補助具を使えば重い物を持つ必要はなく、機械のプログラミングも簡単に覚えられる仕組みを導入した。昔は一人前になるのに10年は必要だったが、今は2年程度で難しい加工をマスターして一人前になれる」

 -求める人材は。

 「職場環境が一変したため性別や文系、理系を問わず、ものづくりに興味のある人であれば誰でも仲間になれる。欲を言えば少しだけチャレンジ精神を持っていれば良い。会社の運営を社員全員が担う『全員経営』を掲げ、さまざまな教育の機会をつくり、絶えず個人の能力アップ、会社の組織力アップに腐心している。新入社員には入社後、個人の能力とやる気に合わせて個別の教育訓練を受けてもらうので、結果はついてくる。一例を挙げれば、社員の7割以上が技能検定1~2級の取得者だ」

 -影響を受けた人物は。

 「20代の頃は強い独立志向を持っていた。台湾出身の直木賞作家で、経済評論でも知られた邱永漢(きゅうえいかん)氏が『鶏口となるも牛後となるなかれ』(大きな組織で人の後ろにいるより、小さくてもトップになる方が良いとの考え)という中国のことわざを引用しており、その言葉を長い間、信奉していた。30代は管理や経営の仕事に携わり、朝日相扶製作所(朝日町)創業者の阿部宗一郎氏の著書『思考と行動の指針』を参考にした。最近は身近な人の言葉や、偶然目に入る活字にも教えられることが多くなった。東洋思想研究家の安岡正篤氏の著書『一日一言』も読んでいる」

 ★奥山崇氏(おくやま・たかし) 山形大工学部卒。製薬会社、機械工具メーカーを経て義父から川西精密(現サンフウ精密)の事業承継を受け2007年、専務として入り08年6月から現職。山形市出身。65歳。

 ★サンフウ精密 1966(昭和41)年に山辺町で川西精密工業所として創業し、81年に川西精密として株式会社化。2014年には航空機部品分野に参入した。17年11月に山辺町の2工場を集約し、山形市の山形中央インター産業団地に本社、工場を新築し移転。19年3月に現社名に社名変更した。資本金3830万円。従業員数50人。本社所在地は山形市くぬぎさわ西1の5。

【私と新聞】毎日の変化知る重要な媒体
 新聞について、奥山崇社長は「人は周りの環境に影響されずに生きてはいけない。毎日の変化を知る重要な媒体の一つだ」と語る。

 多忙なため、毎日じっくり記事を読み込む時間はなかなか取れない。しかし、「経営は今起きていることを把握し、ほんの少し未来を予測することが何より重要」といい、現状把握のため必ず紙面には目を通す。

 物事は虫の目、鳥の目の両方で見ることが大切-との信念から、地方紙、全国紙、業界紙など幅広い新聞を手にする。テレビニュースやネットニュースも見るが、「新聞を広げた時の一覧性は貴重な要素だ」と指摘。山形新聞など地方紙の良さについては「身近な出来事や情報が載っており、遠くの出来事より親近感が持てて、楽しく心穏やかに読むことができる」と話す。

【週刊経済ワード】とん税
 外国貿易船が日本の港に入港した際に、貨物を積める容積を示す「純トン数」に応じて、原則として貿易船の船長に課す税金。港湾施設を管理する市町村の財源となる「特別とん税」と合わせて徴収される。貿易量の拡大に伴い、近年の税収は特別とん税との合計で、年間計約220億円前後で推移している。税率は1964年に2倍に引き上げられて以来、変更されていない。
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